たかが本棚 されど本棚

タブレット端末が当たり前のように普及する今でも、自分は依然として、紙媒体としての本が好きです。必要な情報や知識はインターネットで充分、という方も多いし、緊急で最低限の情報はむしろインターネットの方が短時間で入手できます。

ただしインターネットの情報は、無料であるがゆえにその正確さは想像以上にあやういものがあります。自分でもせいぜいあてにするのは官公庁や関連会社が発信する内容です。いつなんどきデマや虚言に振り回されるかわかりません。情報がどの正確な根拠を基にして製作されたかも、知る由もありません。

sc_voice11_00-825x510だからやはりプロフェッショナルとしてあらゆる調査や経験を土台にした文章で構成された本を自分は頼りにしたいし、今後もそうありたいと思っています。実生活でもたまに経験することですが、インターネットの情報を頼りにする方々の知識は、豊富そうに見えて、この話はどこかで見たぞ、という感覚になります。どこか借り物の知識なのです。本を読んだあとのような、知識を自分のものにしたぞ、という自信が見受けられないのです。これは例えば企業で昇格したり、中小企業の代表になった際などには、薄っぺらく見える人、というのは致命的です。

ネットの情報で生きている人々(=電源が落ちたら使い物にならない)と必要な知識は自分で手に入れる人々とはしっかり見極めをつけたいと考えます。自分はそういう薄っぺらい人にはなりたくないな、という気概があります。だからあえて本を読みます。

ところでタブレット端末には数百冊の本を登録できるようですが、どこでも持ち歩ける気軽さはあるものの、電源がいったん切れたらそこで読書は中断されます。端末をお持ちの方はそこは充分気をつけていらっしゃるようですが、電池ではなく突然の不具合も発生しないとは限りません。読書を中断されるのは、本を読む人ならとても納得いかないことです。中断されたとしても、紙媒体の本なら、ブックマークやそのへんにある紙や付箋紙を適当に挟んでおけばよいことです。

寝る前の読書にしても、本なら、うっかりそのまま寝てしまっても、ベッドの下に落としても、紙が折れるくらいで翌朝以降の読書に支障はありません。タブレット端末だと、落として故障しないとも限りません。

過去に「捨てる」ことが美と認識できるような本がベストセラーになり、自分も読みました。そこで多くの本を廃棄しました。大きな本棚も分解して廃棄処分しました。その後は捨ててしまいそうな本には手をださない代わりに、これは、という本が増え続けています。あえて本屋には行かず、評判のある本にも手を出さないようにしていますが、ある日ふと本が目の前に登場することがあります。もちろんじっとしていてはなにも来ませんので、例えば図書館で、古くなったり司書の意向で「お持ちください」と放出する本を見に行って、目に留まった本を読んでみます。イチカバチカの選択なので、読みたい本や探していた内容にぶつかるわけではありませんが、その後の考えに影響を与える場合が多いです。本というのは、必然的に目の前に現れるので、人と同じような「出会い」なのでしょう。

いただく本の中には、こういうことだったのか、と熱かった思いがいっきょに冷めて、これは勧められないという内容もあります。しかしそれらも知らなくて迷わされる状態よりは一歩進んだことになります。そういう本以外で、また読みたい、という本の数々を並べて眺めたり、ときどき手に取って読めるような本棚、または本を置く場所というのは自分にとっては今後も必要なのだろうなと思います。

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